しゃべることが大好きで、何でも知りたくて、知りたいと思うとじっとしていられなくて、そんな私がアナウンサーという職業を選んだのは、「言葉」で多くの人に伝えたかったからに他なりません。
テレビもラジオも大好き。文化放送「吉田照美のやる気MANMAN」ではみなさんの記憶に残る外まわりリポートを20年に渡り続け、今でもリスナーのみなさんと深いつながりがあります。
テレビでは情報生番組のナレーションが特にスキルを生かせた仕事でした。新しい情報を正しい言葉で正確に伝えるVTR のアンカーの役目を担っていると自負し、自分で選択した職業ですから大変とかつらいと思ったことは一度もありませんでした。それよりも『瞬時に渡された原稿を読む生番組』を作りあげる一員であることに自信と誇りを持って毎日を過ごしていました。
そんなある日突然、脳梗塞を発症。目が覚めた私を待っていたのは、失語症でした。自分の名前すらわからなかったのです。全く自分の意志と反するところで人生の舵は切られ、自信は粉々に打ち砕かれました。私は自分が馬鹿になってしまったと思いました。私は他の人には意味がわからないことを話しているのかもしれない。自分自身が信じられないという深い絶望の闇に突き落とされました。
取り巻く世界はぼんやりとし、周りが何を言っているのかよくわからない。雑誌や新聞の文字が頭に入ってこない。当然、文を声に出して読むこともうまくできませんでした。テレビを観てもわからないし、メールも打てない。何か伝えたくても、言葉が浮かんでこない。
周りは何も変わっていないのに、私はポツンとひとり立ち尽くして途方に暮れていました。これからどうやって生きていけばいいのか全くわかりませんでした。もう大好きな仕事はできないんだとわかっていながら、認めたくない自分もいる。そんなつらい気持ちを訴える言葉が迷子になって伝えることもできず、みじめで、行き先もなく真っ暗闇の海を漂うような日々でした。
リハビリはさらに駄目な自分を再認識させられる場でもありました。こんなこともわからないのか、こんなこともできなくなってしまったのかと。だから、一度全部やめてしまいました。
そんな私が変わったのは、「フランダースの犬」との出会いでした。誰とも会いたくない私を誘い出してくれたのが朗読サークル。楽しそうに練習しているみなさんを見ているだけで心が氷解していきました。でも、それだけではなかったのです。欠員の代役を突然頼まれて私は窮地に陥りました。できない。無理。このまま帰ってしまいたい。でも、一人で帰ることもできない。ああどうしよう。たった3つの短い台詞。こんなに待ち望まれてるんだ、やってみよう。ただの練習の代役。こんなにドキドキしたことは生放送の現場でもありませんでした。できるかどうかわからない恐ろしさ。第一声がちゃんと声になって教室に響いた時、みなさんが、喜んでくれた時、うれしくてうれしくて涙が出そうになりました。今までたくさんのつらい涙を流してきたのに。今まで経験したことのない喜びで全身が満たされました。この時の感動を一生忘れません。
人生のすべてをあきらめかけた私に、『フランダースの犬』 はことばで伝える喜びをもう一度気づかせてくれました。
そして、自分の人生は誰も変わってくれない、自分で背負っていくしかないんだと覚悟を決めました。その人生を歩いていくと決意してから、生活の全てがリハビリになりました。
それまで、言語が理解できないこと、理解するまでに途方もない時間がかかることがつらくて現実から目を背けていたのですが、脳の中の情報処理を積極的に体験することで、前向きにとらえることができるようになりました。
例えば文章を読むとき、まず文字という視覚からの情報を言葉の意味に変換し、そこからこう読むのだなと理解、そこでイントネーション、アクセントが生まれ正しい発話となります。そのようなことをひとつひとつ積み重ねていき、それには時間がかかるのだと自分自身に言い聞かせるようにしました。
仕事上、瞬時にその全てを行っていたのですからそのもどかしさは言葉では言い表せません。でも、私は様々な方法でタイムラグを短縮する努力を重ねました。読むこと、声に出すこと、滑舌、表現、全て自分の脳と向き合い、脳に問いかけ繰り返し行いました。そして、ついに生放送の現場に復帰を果たしたのです。
今、私に生きる本当の喜びを教えてくれた「フランダースの犬」の朗読と、私の体験を多くの人に知ってもらいたい思いで講演活動を行っています。脳梗塞はその瞬間から家族も含めて人生を変えてしまいます。そうならないために、日々の生活で何が大切かを伝えたい。
そして、私が獲得したことばのトレーニングと生放送のアナウンススキルをもとにボイストレーニングを行っています。身をもって経験したからこそ、メンタルサポートも同時に行いながら、悩みを抱え目的をもつ人を全力で応援するために。
私にできることはなんでもやろう。
支えてくれた人、待っててくれた人、その人達のおかげで今の私がある。
「言語」は生命体の中でも人間が獲得した宝物。音のことだけではありません。ジェスチャーや絵など「伝える」術はたくさんあります。私達はコミュニケーションなくして生きることは不可能です。「伝える」こと「伝わる」こと、「つながる」ことが私の人生のテーマとなりました。
私が伝えたいこと。
自分の身体を健やかにできるのは自分しかない。
起こってしまったことは変えられない。
たくさん泣いてかまわない。
でもその後に、
できることを数えてみて。
自分の生き方を選択するのは自分自身。
自分の人生の真ん中を自分らしく。
まっ、いいか、と笑い飛ばしながら。
沼尾ひろ子